BAKULAB。

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2015-11-22

大久保利通の幕末明治当時の臨場感が伝わる〜「大久保利通とその時代」の企画展

2015-11-22
国立歴史民俗博物館の「大久保利通とその時代」の企画展に行ってきました。

結構前に行ったのですが、ブログにまとめていなかったので、そのまとめです。



「大久保利通とその時代」の企画展に行ってきました

「大久保利通とその時代」の企画展は、2015年10月6日(火)から12月6日(日)まで、行われています。

企画展だけで、ゆっくり見て、2時間ちょっと越えくらいの時間で見れました。
やはり、有名な書簡の内容が生で見られるのは、臨場感などが伝わりいいですね。







暗殺時に所持していた書簡

さて、2015年9月18日のこのブログの記事で、暗殺時に所持していた書簡について、
「重要文化財 明治11年5月13日付の楠本正隆書簡で起業公債発行についての内容」とあり、「西郷からの手紙じゃないのか?」、と書きました。


展示内容の解説には、
「なお、大久保のポケットには西郷隆盛からもらった幕末の手紙が入っていたという証言もある」と記載されていのたで、一旦は一安心。
以前書いた記事(→大久保が死の直前まで持っていた西郷からの手紙〜紀尾井坂の変)は、少しアップデートしました。


ただ、東京日日新聞には、2通とも西郷の手紙とありましたが、
実際は、2通のうち1通は西郷からのもの、1通は楠本正隆からのもの、ということでしょうか。

当時の新聞や証言の信憑性をどこまで信じていいのか。

楠本正隆からの書簡には血痕が付いていたので、紀尾井坂の変当時に大久保が持っていたのは手紙の1通だとわかります。

ちなみに、楠本正隆は大村藩士で、外務大丞、内務大丞、衆議院議長を歴任。
新潟県令時代には、大久保からは「天下随一の県令」と賞された。この書簡の当時は東京府知事だったそうです。



大久保が、ロシアとの交渉で派遣を立候補していた

その他、今回の展示で知ったことをメモ程度に記載。

* 八田知紀(1799-1873)に歌を学んでいた。
八田知紀画賛(図録:12頁より)
八田知紀は、薩摩藩士で香川景樹に学んだ桂園派の歌人。
門人に大久保、高崎正風、黒田清綱、小松帯刀らがいる。

* 大久保が、ロシアとの交渉で派遣を立候補していた。
明治7年(1874)1月29日付岩倉具視宛の書簡より(図録:64頁より)
「今般、榎本奉命之旨趣就御決定愈御順序御践行乃義云々」「樺太裁判事件固より同氏江御委任之事と愚行仕候」などと記される。

同月、海軍中将兼特命全権行使露国公使館在勤を命じられた榎本武揚のことを言っている。

大久保自身もロシア派遣を立候補していたが、それは叶わなかった。
翌年、榎本の手で樺太・千島交換条約が締結された。

* 東北巡幸の先発の褒美、ガラス製燭台(図録:76頁より)
「日記の明治9年8月10日「硝子燭台一対就御巡行先発格別骨折候付、以って 思食下賜候段、高崎侍従番長演舌ヲ以、杉宮内少輔ヨリ御書面ニテ拝承候事」と記されたもの。
東北巡幸の先発の褒美の品である。」

* 大久保四男(達熊)誕生につき、木場伝内よりシャンパンを送られる
四男は料亭一力亭の娘おゆうさん
慶応3年(1867)8月9日付大久保利通宛木場伝内書簡

* 15年忌、20年忌、? 年忌に勝海舟が追悼歌を送っている



その他、実際に使われていた大久保の私物、金の懐中時計や、石鹸入れ、櫛、机などの展示がありました。

「図説 西郷隆盛と大久保利通」に掲載されている、大久保利泰氏蔵と書かれている私物のほとんどが、今回の展示で見れたかと思います。

この展示は、国立歴史民俗博物館への大久保家からの2002年から2015年までの寄贈からなるそうで、「図説 西郷隆盛と大久保利通」掲載時、大久保家所有だったものが寄贈されたようですね。

また、3053点が2004年6月に国の重要文化財に指定されているとのこと。
これだけ大掛かりな大久保利通関係の展示はないので、12月6日までなので、ぜひこの機会に行ってみてください。



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